東日本大震災行方不明者捜索活動協議会2016
4. 気仙沼市地区における地域の関係各所と連携した捜索活動について
一般社団法人 気仙沼復興協会 (KRA) 環境保全部 小山清和
みなさん、こんにちは。
気仙沼市で活動をしております一般社団法人気仙沼復興協会の小山清和と申します。
私は気仙沼地域で捜索活動を行っておりますが、私たちの団体は捜索に特化した団体ではありません。そのあたりも含めて説明させていただきたいと思います。
(一社)気仙沼復興協会について
我々、気仙沼復興協会は、震災から1ヶ月ちょっとした後に立ち上がった団体で、仕事を失った方が気仙沼で1万名以上出ましたので、市街に出稼ぎ等に出かける方が多くいらっしゃいました。それを防ぐために雇用の場をまず第一に考えました。
「東日本大震災により仕事を失われた方々に早急に仕事を確保し,雇用を促進すると同時に,被災者自身の手により,宮城県気仙沼地域における復旧・復興を行うことを目的とする」

それからはじまり、部署がいくつか出来ていき、今現在は環境保全部という一つの部署の中にボランティア受入、写真救済事業、清掃事業が組み込まれています。以前は、これに福祉部という部署が組み込まれていおりまして、仮設支援をおこなったり、清掃部という部署は被災した住宅もしくは側溝を清掃をおこなったりしていました。他に写真などを洗浄しての返却や、拾得物の清掃などものボランティア受入事業をおこなっていました。
では、捜索というのはどこから始まったかというと、このボランティア受入事業というところから始まりました。そして、その時期、部署制であったボランティア受入事業がまずボランティアの受け入れからはじめ、海岸清掃を2年半経った頃から行い始めました。その時に、多くの埋没しているものや、漂着物を清掃していくうえで、お骨が見つかるケースが多くありました。もちろん、ご遺骨だけではなく、動物のものも多いですが、そういったものを見つけた時に警察に届けていくところから、実は始まっています。海岸を清掃していて、集めた物を行政の方に何度かお願いして処理をしたり、協会の方でお金を出して処分したりという形もありましたが、そういったところからスタートしまして、同じタイミングで警察が隣の海岸で捜索活動を行っていました。そこで、挨拶をして何か協力できることがあればというところから地域の関係各所との連携がスタートしました。
ボランティアの皆さんのご協力があったから
今まで、だいたいどのくらい行ったかといいますと、捜索活動がはじまった日にち、2013年の12月11日の月命日から始まりました。これ以前から、海岸清掃というかたちを行っていましたので、ここから捜索活動と銘打って活動を行いました。今まで活動した人数、ボランティアした人数が1,500人以上で、我々スタッフも200名以上で我々の捜索活動で言えば、ボランティアのみなさんがいたからこそ今まで続けてこれたというのがあります。それも、多くの方々、また多くの関係各所と連携できていたと。ただ捜索も、実は月命日の捜索以外にも行った箇所があるので、これはあくまで月命日の捜索活動の人数となります。ボランティアの方々は24,000名近く受け入れてますので、本当に、その中の一つというかたちでやっております。


まず、気仙沼警察署と昨年度まで、集中捜索と銘打って活動を行っていました 。


このほかにも、自衛隊の炊き出し訓練の協力を捜索時に行っていたり、あとは海上保安庁の方も集中捜索の方に参加していただいたり、我々で出来ることは限られていますので、なるべく多くの方で、多くの手と目で行方不明の方の手がかりを見つけようということをしています。
河川沿い湿地帯の捜索現場



捜索の一つに、遺族会の方から依頼があった場所がありました。河川です。河川の脇に湿地帯になった場所があって、遺族会の方も正直、自分たちが探せるところはもう探し尽くした感があったんですけど、その中でもこの湿地は陸地側の最後の可能性があるんじゃなかいと。なんとか捜索できないかと。
というのも今後、河川堤防が出来て埋められてしまう場所だったんです。これを、地域の遺族会と気仙沼警察署、そして工事関係者の方と打ち合わせしました。こういったかたちでこの奥にもっと水がたまった場所があるんですけど、こういう水中ポンプで水を抜いている写真です。工事関係者の方もですね、工事を止めてくれました。そして、重機を使ってそこの土砂をいったん移動させるということをしてもらいました。このようにこのまま探すというのが、難しいため、いったん空き地に土を運んで、その中に大きな瓦礫とかがあるんですが、これを例えば警察の方が捜索をしたり、警察の方が入れないときはボランティアで捜索をしたりということで数ヶ月をかけて全部の土砂、だいたい厚さ50センチくらいを掘り進めてチェックしました。その結果、写真などは見つかりましたが、行方不明者のご遺骨や直接の手がかりは見つからなかったんです。このように、ここに行方不明の方はいないということを確認できたと。私たちの捜索活動というのは、もちろん、ご遺族の方に行方不明の方を戻したいというの気持ちが一番大きいです。ただ、今後、地域が復旧していく中で、もしかしたらここを捜索しなければ、ここに行方不明の方がいるかもしれないと思いながら、地域の方が生活するのと、そこを捜索していないというのがわかって、地域が復興していって、そこで暮らすのでは、まったく気持ちが違うということもあると思うので、いないというのを確認するのも大きな役割となっています。






4つの課題
みなさんのお話を聞いていてもなんですが、課題というのが一気に出してしまいますけど、4つくらいあると思ってます。
時間の経過というのは、やはり捜索していくのが難しくなっているというのがあると思います。
時間
工事、沿岸部の工事ですね。我々も海岸清掃という部分で、ボランティアの方を受け入れてきたんですけど、今はもう海岸線も入れるところは限られてきました。またですね、同じような問題ですけど、捜索のできる場所がなくなってきていると。我々ですね、特別な技能や専門性があるわけではないので、海中の中というのは今まで捜索できなかったんですけども、この間も海上保安庁の方にお話しに行ってきました。
場所
ご遺族の方から捜してほしい場所等があれば、捜索に協力しますということを言っていただいたんですが、じゃあ、どこを捜索したらいいかというのがですね、結構難しい問題になっています。海洋大学さんの方から、水中のソナーとかカメラもあるんですけども、今度費用とかが難しいことになるかと思います。それがですね、ここの方法ですね、やっぱり今までと状況が変わってくるなかで、同じことをしていたのはダメだろうと。方法も考えないといけない。
方法
継続
継続。これはですね、いるまで活動できるのかというのがあるんですが、団体として我々は実は国の緊急補助制度というところからお金をいただいて、気仙沼で活動するというのがあります。なので、我々は、他の地域に出て活動というのは今までないんですね。気仙沼で活動しますし、その内容?というのが間もなく終わりますので、まあかたちが変わって我々が残るかどうかは別として、捜索に関してどうしていくか、これはですね、明確な答えは出ていないんですけど、私が思うところがちょっとあって、我々がやれることは限られています。

最後に、警察の方々、海上保安庁の方々、これから工事を進めていく工事関係者の方々、それから漁業関係者の方々に対し、まだ、気仙沼でも220名の方が行方不明のままですので、これだけ多くの方々行方不明だということを知っていただいて、通常、漁業、工事をするなかで、そうした手がかりがあるかもしれないということをしっかりと胸に焼き付けていただいて日々生活していってくれるようなかたちにならないかなと感じます。
我々の団体だけじゃなくて、我々の団体が仮になくなったとしても、その複数の目と手で行方不明の方の最後の方が見つかるまで、何とか、捜索というものが続いていく方法がないだろうかと思っております。
そして、また今後の展開をどうしていくかというのを悩んでいるところです。非常に簡単にですが、気仙沼での活動といことで終わりとさせていただきます。
ありがとうございました。